小栗吉忠に関するキーワード

三河小栗家について 近世日本史

筒針(つつばり)

現在の愛知県岡崎市筒針町。

岡崎城のある位置から少し西にある。
常陸から三河に入部した小栗重弘が拠点を置いた地であり、「小栗屋敷」若しくは「小栗城」の名前が史料で確認出来る。
吉忠は叔父の正重に養われる形でこの筒針で育ち成長の暁に城主となる。

小栗党

三河一向一揆に於いて目覚ましい活躍した、小栗一族の武装集団。
その頭領格は、吉忠。
史料を読む限り、筒針小栗家以外にも他の小栗家一族がこの軍団に参加していた事が分かる。

中泉(なかいずみ)

現在の静岡県磐田市。JR東海道線磐田駅の南口一帯。

掛川の戦いで戦功を得た吉忠は、配下の同心達と共に筒針からこの中泉へその拠点を移転した。
以後、吉忠は家康配下の代官として、この中泉を拠点にして内政に関与する。
中泉には家康の別荘「中泉御殿」があり、これは江戸時代以降「代官屋敷」となるが、御殿に吉忠が居住していたのか、或るいは、中泉近郷に居住していたのかそれは不明である。

小栗同心(おぐりどうしん)

吉忠の元には41人の同心が居た。
彼等の職務内容は、主として検地活動。
小栗同心は、いわば、江戸時代の代官制度の礎である。
同心の中での代表格は、江戸時代初期に活躍した伊奈忠次。
吉忠の死後、伊奈忠次が同心を統括する立場に転じ、家康の関東移封に於ける検地政策等で活躍する。

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