中世小栗家

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近世日本史

江戸時代に於ける小栗家の人々

小栗忠政 -ただまさ-(1555~1616) 通称、庄三郎・又一 吉忠の長男 母は石見守某の娘 小栗忠順(上野介)の先祖について語られる時、必ずと言っても良い程、登場する先祖が忠政である。 13歳で家康に仕え、十六歳の時、姉川の戦いで家康の...
近世日本史

筒針小栗家は浄土真宗信者

妙源寺への寄進史料から判明する事 16世紀初頭に於ける小栗家は、如何なる活動をしていたのだろうか。天文6年、小栗家の人物が妙源寺に領地を寄進していた。 永代寄進申田地之事 合弐斛者、在所別所下 右彼田地者、祠堂銭拾貫借用候処、廿貫余ニ罷成候...
近世日本史

三河小栗氏と謎の岩津松平家ついて

常陸小栗氏の三河入部について 助重は、赤松村に入部し「小栗屋敷」を設けて三河の人間と成った。三河には足利将軍家と関連している所領が多く存在し、 足利将軍家と繋がりのある関東の武士が三河へ入部する事は多々あった。そして、彼等の多くは三河譜代ま...
近世日本史

常陸小栗氏について

三河の小栗氏は元々は常陸国の小栗保に拠点を構えていた一族である。その出自は古い歴史を有しているのもの、一族が常陸を捨てる様は、時代に翻弄された成れの果てであった。小栗保は現在で言うと、茨城県協和町(現在は茨城県筑西市)にある地名。 栃木県に...
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