1日が長く感じる時、短く感じる時

待つのは、こりごり 日記

ギリギリだが、間に合った…。

自分の誕生日にサイトをリニューアル

単純に自分の誕生日にサイトをリミューアルしたかった。しかし如何せん、旧コンテンツの記事を新サイトに移行させるのが、難儀している。数記事を新サイトに移行させたが、割合にして1割も満たないのだ。昔の私は、ほぼ毎日の様にサイトを更新していた。まさに「狂気の沙汰」である。

定職に就くのが能わずだったので、毎日が暇だった。だからサイトを更新する余力もあったのだ。日々、ネタを探し求めて青山墓地に行ったり、国会図書館にも通っていた。もの凄く行動力があった賜物だから「狂気の沙汰」と呼ぶのは、語弊があるかも知れぬ。職は得られずだったが、日々勉強していたので、充実していた。

ともあれ、不完全ながらも、誕生日にサイトのリミューアルという念願は叶った。自滅しないペースで旧サイトのコンテンツを移行させつつ、新記事を更新する次第だ。あまりに無理すると

無茶しやがって…

お星様になってしまうからな!

1日が短く感じる時

それにしても1年が経過するのが早い。去年も「誕生日が過ぎたら1年終わる」と考えていたら、何時の間にか年末年始に突入していた…。

いやいや、1日が経過するのが早いのだ。何時から1日の経過が早いと感じる様になったのだろうか?

子供の頃は1日が長く感じられた。「何故1日は24時間もあるのだろうか?」と真剣に悩んだ。最も子供の頃は、いじめにも遭っていたから1日が長く感じたのかも知れない…。いじめは中学3年生から無くなったのだが、この頃から急激に1日が短く感じる様になった。そのまま高校と大学に進学したが、この7年間は、走馬燈の如く過ぎ去ってしまった。高校も大学も毎日が楽しかった。高校時代のクラスメイトは(遊びな意味で)馬鹿みたいに楽しかったしだったし、大学時代は先生にも恵まれていた。大学は片道2時間以上の通学であったが、全く苦労を感じなかった。

ところが、大学院は違った。私が卒業した学部は当時、大学院が存在せずで、大学院に進学するには違う学校を受験しなければ、ならなかった。何とか1校だけ合格したのだが、その大学院が、外様の人間を拒絶する学校体質だった為、私は精神的に参ってしまった。周囲の人間に質問をしても「そんなのも分からないの?」という反応をされ続ければ、「20歳過ぎた良い大人が、登校拒否をする」という前代未聞な行為をするに至る訳である。学校に行かず、適当な場所をプラプラし、頃合いを見計らって家に帰宅するという凄まじい登校拒否をしたので、1日が絶望的に長く感じた。

ひたすら待ち続ける

結局1年間、留年した。しかし、留年しても拒絶体質は変わらず、3年で修士課程を修了したのだが、留年が決定した時点で退学すべきだった。とっとと退学をして仕事を探した方が私の為には、有益だった。無為無策に1日を経過するのを、ひたすら待ち続ける日の長さは、今でも辟易する。

その後は既述した様に、定職に就けずであったが、派遣社員として形振り構わずに職を得たものの、何処も長くても3ヶ月間の契約で終了。仕事も面白味が無かったし、暇になる事態も発生していたので、ここでも1日が長く感じた。

待つのは、こりごり

紆余曲折を経て、今の仕事に就いたのだが、業務が私に合っていたのと、多忙の極みだった為、1日が経過するのは短くなった。成る程、そういう事か。経験上、自分が楽しいと日々思っていたり、充実していたりすると1日の経過が短くなっているのを理解した。最近の仕事は暇になっているので、1日は若干長く感じるが、酷い目に遭った日々よりかは、遙かに短く感じる。

寧ろ1日が短い方が私にとって精神衛生上、宜しいのかも知れぬ。例え、俗に言う「光陰矢の如し」と指摘されても。

1日が短くなれる様な職場を探し求めて三千里

さて話変わって、この記事を書いている時分は、転職活動をしている。派遣社員から正社員への転職を目指しているのだが、年齢的な面がとてもハンディになっていて、なかなか思う様に転職活動が進まない。年齢的に、恐らくこれが最後の転職活動になってしまうので、会社の選択は充分に吟味している。いささか慎重過ぎている感が否めないので、反省はしているけれども。

最も今の私は転職エージェントの恩恵が受けられないので、孤軍奮闘しているが、8月から、転職活動のアプローチ方法を変えてみる。そこで、今の職場の様に私が必要とされる会社に巡り遭い、1日が短く感じる充実感を得る職場を見付けてみたい。

そんな職場を探し求めて三千里。自宅近くにあるのを願う!

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