三河小栗家

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近世日本史

小栗吉忠発給文書と年表

小栗吉忠年表 1527年 松平忠吉の子として生まれる。 母の兄である小栗家の叔父、小栗正重の三河筒針城にて養育される。 通称は「又市」(「一」に非ず)・「仁右衛門」。 松平姓から小栗姓に改める。 幼少期~青年期 家康の父、松平広忠に小姓とし...
近世日本史

「守山崩れ」当時の奉行人発給文書

天文4年(1535年)の12月5日、同族の松平信定を討つ為に、松平清康は尾張の守山に出陣したものの、その陣中で、家臣の阿部弥七郎によって殺された。これは俗に「守屋崩れ」(天文の内訌の一つ)と呼ばれ、一時的に松平氏の精力は衰退する。 陣中で馬...
近世日本史

筒針小栗家は浄土真宗信者

妙源寺への寄進史料から判明する事 16世紀初頭に於ける小栗家は、如何なる活動をしていたのだろうか。天文6年、小栗家の人物が妙源寺に領地を寄進していた。 永代寄進申田地之事 合弐斛者、在所別所下 右彼田地者、祠堂銭拾貫借用候処、廿貫余ニ罷成候...
近世日本史

三河小栗氏と謎の岩津松平家ついて

常陸小栗氏の三河入部について 助重は、赤松村に入部し「小栗屋敷」を設けて三河の人間と成った。三河には足利将軍家と関連している所領が多く存在し、 足利将軍家と繋がりのある関東の武士が三河へ入部する事は多々あった。そして、彼等の多くは三河譜代ま...
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