泣ける日光旅行

公開当時の奥の院:その1 松平家・徳川家関連旅行記

2000年11月21日 曇り

授業をさぼってまでも、日光へ行く事に!
目的は、今月末まで限定公開されている、大猷院「奥の院」を見に行く為。
平日の方が空いているだろうと思い、平日に行ったが、後でそれが、裏目に出るとは、この時ばかり思いも寄らなかった。

9時30分発の東武浅草発「特急スペーシア」に乗るべく、7時過ぎに最寄駅に到着!
しかし、この時間帯から鬼の様なラッシュが始まる事をすっかり忘れていて、久々に電車の中で缶詰を体験。
本来ならば、私もこのラッシュと毎朝体験しないと行けない年頃だと言うのに…(執筆当時は学生)。

ともあれ、何とか浅草駅へ無事に到着。電車も定刻通りに出発した。
浅草から東武日光までの所要時間は、1時間30分。途中、北千住で停車した後、一気に、日光の手前、下今市までノンストップ。
電車に乗った後、熟睡してしまったが、起きたら、何も無い畑一面だったので、暫く呆然と。

さて、東武日光駅に着いたものの、暇だったので、ついでながら中禅寺湖に行こうと思ったものの、かさばる荷物の扱いに困った。
向こうに行っても、ロッカーが無かったら嫌だなーと思い、日光駅のロッカーに荷物を置いた。
しかも、大事なコートもその中に…。

中禅寺湖行きのバスに乗っていざ!相変わらず、いろは坂はクネクネしていて、思いっ切り酔った…。
45分程で、中禅寺湖へ到着!と当時に、まず目の前に飛び込んだものは、無情にも、コインロッカー。

中禅寺湖

して、やられたー!と愕然。そして、恐る恐るバスから出ると、凍てつく風が襲い掛かってきた!
ぎえー、寒い!コートも持ってこなかった、私は成す術無く、風の恩恵を受ける事に。
それでも、華厳の滝には、30分もねばった。

華厳の滝

何処に行っても修学旅行生と旅行団体客ばかり。極寒の11月下旬に至っていたので、もっと空いているものかと。
紅葉も終わった後なのに。男体山には、うっすらと、雪化粧されていた。
地元の人曰く、後10日程経過すれば、ここは真っ白になるとの事。
もっと中禅寺湖に滞在したかったのだが、コートが無いお陰で我慢出来ず、3時過ぎにおさらばする事に…。
奇跡的だったのは、これで、風邪を引かなかった事である。

明日はいよいよ、大猷院に行くので、今日は、早めにお休みなさーい。

2000年11月22日 曇り

今日は念願の社寺へ行く日だ。朝、妙に早く起きて、旅館から東照宮の近くまで歩いた。
途中に、カメラの自販機を発見したので、そこで、カメラを購入した。
その後の悲劇が起ころうとも知らず…。

旅館で朝食を食べた後、いよいよ、社寺へ!社寺は午前9時から開館されるので、それに合わせて旅館を出た。
途中に先述の自販機でカメラをもう1つ買った。ところが、お金を入れ、ボタンを押しても、カメラが出てこない。
お店の人を呼んで、何とか事なきを得たが、余計な時間のロスを生じさせてしまった。

さて、輪王寺・東照宮・二荒山神社・大猷院。(今思うと)本来ならば、大猷院に直行しなければいけなかったのだが、
ここは、先述のルートで行くのがスジでしょう!と変な先入観を抱いてしまった為、このルートで行った。
輪王寺には、奥の院と合わせて秘蔵の家光の木像も、初公開されていた。木像に対する私の率直な感想をば。

「思っていた以上に、美形だったのか?家光って?」

そう思ってしまった…。
この他にも、家光直筆のお守りも、公開されていた。
なかなか、読み易い文字。「生きるも死ぬも、家康と一緒」と書かれている様に家光の家康崇拝は、改めて凄いものだと思った。だから、立派な東照宮が出来るのも、当然なのだが。

今日も平日だと言うのに、やたらと人が多い!小学生や年増の団体客や外国人など…。
意外にも、カップルも多かった。
私もこの時ばかりは、徳川の事を研究している彼氏が居たらな、と思ってしまったのであった。

大猷院は、他の社寺以上に人が多かった。至る所、びっしり!だから、拝殿など中には入れなかった。
しかし、家光の墓である奥の院には、スムーズに行けた。家光の墓は家康のと同じ形ををしていた。
350年目にして、初公開された墓を目の辺りにした私は、千載一遇のチャンスとばかりに
自販機で買ったカメラで写真を撮りまくった。この時、天候がどんよりしていた為、フラッシュをたいていたのだが…。

公開当時の奥の院:その1

公開当時の奥の院:その2

次回の公開は、50年後との事である。果たして私はその時まで、生きているだろうか?

ともあれ、目的のものを見終わった。そんな安堵感に浸りながら、さりげなく、カメラを手に取った。
何と、そのカメラの使用期限が「1999年12月」と記載されていたのだから、目の前が、暗転した。
嘘だろう!これで家光の墓を撮っちゃったよ!一気に奈落の底に突き落とされた感覚に陥ってしまったのであった。

2000年11月23日 晴れ

昨日、押し忘れた御朱印を押しに、再び社寺へ。相変わらず、大猷院は混雑していたが。
暫くの間、社寺周辺を散歩し、11時30分の日光発浅草行きのスペーシアに乗って帰った。

自宅に到着するや否や、問題のカメラを近くの「写真屋さん45」まで現像しに行った。
約40分後に取りに行った。がっ、そこで、予期せぬ事実が発覚した。
フラッシュのお陰で、写真全体が、ボヤけていたのだった。
あの曇り程度でも、フラッシュは不要だったのだ!
矢張り、デジカメをもって行くべきだったー!と泣いたのは言うまでもない。

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