ディンギル

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松平家・徳川家・小栗家関連旅行記

岡崎旅行記

鈍行しか止まらない駅、三河安城 春の陽気が身にしみた2002年3月下旬の或る日。岡崎へ行く事となった。調査と言う名目の元、観光をしに行ったのだが。 岡崎までは、新横浜から三河安城まで新幹線で行き、そこから先は岡崎まで東海道線に乗っていった。...
松平家・徳川家関連旅行記

泣ける日光旅行

2000年11月21日 曇り 授業をさぼってまでも、日光へ行く事に! 目的は、今月末まで限定公開されている、大猷院「奥の院」を見に行く為。 平日の方が空いているだろうと思い、平日に行ったが、後でそれが、裏目に出るとは、この時ばかり思いも寄ら...
近世日本史

江戸時代に於ける小栗家の人々

小栗忠政 -ただまさ-(1555~1616) 通称、庄三郎・又一 吉忠の長男 母は石見守某の娘 小栗忠順(上野介)の先祖について語られる時、必ずと言っても良い程、登場する先祖が忠政である。 13歳で家康に仕え、十六歳の時、姉川の戦いで家康の...
近世日本史

小栗吉忠を巡る人達

ここでは、小栗吉忠と交流のあった人達を簡単に紹介する。 本多重次(1529~96年) 「鬼作左」で有名な、三河三奉行の1人。民政以外にも兵糧米の調達など軍政面にも関与している。 江尻城・久能城の警固番を勤める傍ら、駿河地域の政務を行う。 ま...
近世日本史

『家忠日記』に見える小栗吉忠

はじめに 『家忠日記』は18松平家の内、深溝松平家の4代目当主である、松平家忠が記した。記述期間は天正5年(1577)10月から文禄3年(1594)10月の約18年間に至り、基本的にその日起こった出来事を1~2行程度に淡々と書き記している内...
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